ダイヤモンドの価値 ベートーヴェンの第九 献呈にまつわる話

ダイヤモンドの伝説

こんにちは。
ともやんです。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)。
ドイツのボンに生まれ、ウィーンで活躍した不世出の作曲家。

 

9つの交響曲、16曲の弦楽四重奏曲、32曲のピアノソナタは

生涯を通じで作曲されましたが、

その他5つのピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、歌劇「フィデリオ」など、

数々の名曲を生み出しました。

 

そのベートーヴェンの中でも特に有名で、

しかも音楽曲で初めてユネスコの世界遺産に選定された曲ってご存知ですか?

 

それは、日本では年末になると多く演奏され、風物詩もなっている曲です。

そう、『第九』こと、交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」です。

実は、この曲にダイヤモンドが関係していることはご存知ですか?

50年に及ぶベートーヴェン好きで、ダイヤモンドバイヤーの仕事を

していた僕でも、つい最近知ったことです。

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ダイヤモンドの価値 ベートーヴェンの第九について

ベートーヴェンは、交響曲を9つの作曲していますが、

その内8曲は、30歳から42歳までの12年間で作曲されています。

 

しかし7番と8番が完成してから約10年間は、

交響曲の作曲はありませんでした。

 

こんなベートーヴェンのもとにロンドンのフィルハーモニック協会から、

交響曲作曲の依頼が届きました。

 

そこでベートーヴェンは、若いころから気に入っていた

詩人シラーの歓喜に寄すの歌詞を使った合唱を終楽章に持つ

交響曲の作曲を始めたのです。

この頃のベートーヴェンは、体調も優れず、難聴も進行し、

筆談でコミュニケーションを取っていました。

苦難の末、完成したのが1824年の初めで、ベートーヴェン53歳の時でした。

そして初演は、同年5月24日にウィーンで自身の指揮で行われ、成功を収めました。



ダイヤモンドの価値 ベートーヴェンの第九初演のエピソード

有名なエピソードとしては、ベートーヴェンは、

オーケストラを指揮していたわけですので、聴衆には背中を向けていました。

そして、交響曲の演奏が終わって、

感動した聴衆は、万雷の拍手を送るわけですが、

耳の悪いベートーヴェンにはその拍手が聞こえません。

 

そこで、独唱者としてその場にいた女性歌手が、

ベートーヴェンの袖を取って、聴衆側に向かせたのです。

そこでベートーヴェンは初めて、初演が成功だったことに気付きました。

 

ここで、一つの疑問が浮かびます。

それは、大勢の聴衆の拍手も聞こえないのに

指揮は出来るのか?ということです。

 

実は、この日、ベートーヴェン以外にも指揮者がいたのです。

ある説によると、ベートーヴェンは、開始の合図だけ送って、

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あとのは別の指揮者が、実際の指揮をしたということです。

 

もう一つ、よりベートーヴェンにとっては切実だったのは、

初演は、ベートーヴェン主催で行われましたが、

ビジネスとしては、思ったほど利益は出ず、

見込みの二割程度しか出なかったのです。

 

つまり新しい合唱を伴う革新的な交響曲は、

音楽的には成功だったのですが、

ビジネスとしては、残念な結果となったのでした。



ダイヤモンドの価値 ベートーヴェンは意外と商売人

後年、クラシック音楽界の『楽聖』として

崇め奉られるベートーヴェンですが、

なかなかの商売人でした。

 

ベートーヴェンの前の時代までは、

音楽家は貴族や皇族のお抱えで、

例えば、ハイドンなんかも雇い主の依頼に応じて作曲を行い、

気づいたら100曲以上もの交響曲を作っていたいう結果になったのでした。

 

それがフリーランスの作曲家が現れたのが、モーツァルトからでした。

そして、ベートーヴェンは、最初からフリーランスの作曲家でした。

 

収入の方法としては、作曲して楽譜を出版社に売り、

報酬を得るというものでした。

しかし、当時は印税という概念がなく、

出版社に打って報酬をもらったらそれで終わりでした。

 

そこでベートーヴェンは、『献呈』というシステムを考えたのです。

貴族や皇族に、作曲した献呈としたわけです。

献呈された貴族は、自分の名声が高まることなので、

謝礼として、金品をベートーヴェンに渡しました。

そして『第九』は、紆余曲折の末、初演から2年以上も経った、

1826年10月にベートーヴェンの自筆の総譜が、

プロイセン王フリードリヒ・ヴィリヘルム三世に献呈されたのです。

そして翌月の11月にプロイセン王ヴィリヘルム三世より、お礼状が届き、そこには、

「感謝の印としてダイヤモンドの指環を贈呈する」とあったのです。



最後に

その後、プロイセン王ヴィリヘルム三世から、

ベートーヴェンに届いたのは、

ダイヤモンドの指環ではなく、赤い石が嵌め込まれた指環だったのです。

宝石の価値が分からないベートーヴェンは、

その赤い石の指環をウィーンの宝石商に鑑定させました。

 

その結果、300フロリンの価値しかないという鑑定でした。
※1フロリンは、約2,000

激怒したベートーヴェンは、その指環を売ってしまいました。

これが、ベートーヴェンの『第九』にまつわるダイヤモンドのお話です。



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