“ダイヤモンドは元々地球上に存在する天然資源なのでタダじゃないの?”
という馬鹿げたことを言う人がいますが、天然資源はそこに存在しているだけならタダかもしれませんが、というより人間が使わないのだから価格の付けようがありません。
人間が価値を見出すから価格が付くのです。
天然資源のダイヤモンドは鉱山を発見して、採掘して、運搬して、選別して、原石市場で取引され、研磨され、研磨済みダイヤモンド市場で取引され、世界各地のジュエリー加工業者で製品され、小売店の店頭に並び、消費者に購入されるという気の遠くなる時間と携わる何十万人、何百万人の人たちの経費を考えると全く高いと思わないし、国際商品として安定した価格を維持していると僕は思います。
同じように天然資源の石油から製品化されたガソリン、軽油、灯油などと同じ理屈ですね。
“ダイヤモンドは、元々天然資源だからタダだよね”という暴言を吐く人は、ガソリンのことを元々天然資源だからタダだよね、というのでしょうか?
そこで今日は、もともと地球の地中に眠っていたダイヤモンドが、現在の価値になるまで簡単な経緯についてご案内します。
ダイヤモンドは19世紀半ばまでなぞの鉱物
ダイヤモンドと人間との付き合いは、古く紀元前1世紀、ローマの歴史書に登場します。
しかし、当初は宝飾品としてではなく、その硬さを利用して彫刻の道具として利用されていました。
その後、長い年月の中でカット技術が進歩し、ダイヤモンドが宝飾品としての価値を高めて行きます。
15世紀ごろになると、微小のダイヤモンドの粉で、大きなダイヤモンドを磨くという手法が確立され、パリ、ロンドン、ベルギーのアントワープなどで職人による加工技術が高まっていきました。
しかし、それまではインドやブラジルの川の砂や小石に交じっているのが稀に見つかる程度で非常に採集量は少なく、高品質なものは、非常に高価で王国貴族の専有物になったため、
ダイヤモンドの科学的な研究が遅れていました。
だから19世紀半ばにある大きな発見がされるまでは、ダイヤモンドは謎に包まれた鉱物だったのです。
南アフリカ・オレンジ川での大発見
ダイヤモンドの歴史での大転換期は、19世紀の中ごろ訪れました。
今から僅か150年程前のことです。
それまでの3,000年近いダイヤモンドの歴史を一転させるような出来ごとでした。
1866年頃、南アフリカの農場に暮らすエラスムス・ヤコブという少年が、オレンジ川で、21.25ct(4.25g)のダイヤモンドの原石を拾ったのです。
このダイヤモンドは、当時の植民地総督を経て、パリの万国博覧会(1867-68)に出展され、
「ユーリカ(Eureka)」というギリシア語で「我、発見せり」を意味する名前を付けられました。

南アフリカでダイヤモンドが採集できるとわかったことで、数千人の採鉱業者がオレンジ川に押し寄せてきました。
その中のバーナード兄弟がキンバリー近郊でついにダイヤモンド鉱山を発見したのです。
鉱山の発見により、鉱山の地質を研究することで、ダイヤモンドがどのような場所でどのように作られるかがわかるようになりました。
デ・ビアス社の誕生で価格の安定化へ
キンバリー鉱山は、バーナード兄弟によって発見された歴史上最初のダイヤモンド鉱山でした。
1880年代になると、鉱山内の水をくみ取るポンプで財をなしたセシル・ローズが、キンバリー鉱山を構成する鉱山の一つ、デ・ビアスを買い取りました。これがのちに世界最大のダイヤモンド産出会社「デ・ビアス社」の誕生です。
デ・ビアス社は、バーナード兄弟の所有する鉱山も買い取り、キンバリー鉱山をほぼ手中に収め、19世紀末には市場に出回る原石の90%も支配するほどのなったのです。
デ・ビアス社は、市場に出回る原石の量を調整して価格の安定を図り、ピカソやダリなどの著名人を起用してキャンペーンを展開し、
「ダイヤモンドは永遠の輝き」というキャッチ・フレーズとともにダイヤモンドの地位とイメージの向上に努めたのでした。
まとめ
南アフリカのダイヤモンド鉱山の発見から、ダイヤモンド鉱山のある地質の研究が進んで各地にダイヤモンド鉱山が発見されました。
ロシア、オーストラリア、カナダなど、極寒の地や砂漠地帯など人間が住む環境としては非常に厳しい場所ばかりですが、ダイヤモンドの流通量も増え、価格も安定して一般の人達も普通にダイヤモンドジュエリーを楽しむ時代になりました。
ダイヤモンドはジュエリーの王様です。ダイヤモンドを使わないジュエリーは考えられません。現在の高級ブランドもダイヤモンド鉱山の発見から生まれたと言っても過言ではありません。
鉱山の発見から、高級ブランドの誕生についてはまた次回以降に書いていきたいと思います。

