現在、最も標準とされ広く用いられているカットは、
ブリリアントカットです。
しかしこの言葉が表すカットの歴史については
これまで、わからないことが多くあります。
フランス語でブリヤンなる言葉は、
1560年代に登場し、
最初のころは、形容詞として使われ、
やがて1600年代に入って名詞として登場してきました。
しかし1691年のフランス王室所有宝石棚卸表から始まり、
1750年に刊行されたデイヴィッド・ジェフリーズの
ダイヤモンド論に至るまで、
このブリリアントという名称は実に様々なカットに
使われていて統一されていませんでした。
輝きの重要度が上がったのは夜の世界から
ブリリアント、またはブリアン(光り輝く)いう名称が、
この時代にかけて形容詞としてでも歓迎されたのは、
この頃から最初は蝋燭によって、
やがては、ガス灯の登場により、
夜の社交界というものが登場したからです。
そこで使われる宝石にはこれまでの色や大きさよりも
光るや輝きいう性質が求められるようになりました。
そこでこれまでの
底面が平らなローズカットではなく
ダイヤモンドの下の部分に、
大きな三角形を残すことで
強い光を得ることができるということが
経験的にわかっていたので、
下部の三角形の部分、つまりパビリオン部分を持った
ダイヤモンドのカットが登場してきたのです。

※ローズカットは、ラウンドブリリアントに比べ、輝きは質素なものでした。
カットの場所は、パリからロンドンそしてアムステルダムへ
初期のこうしたカットの作業は、
パリが中心でしたが、
やがて18世紀にかけては
ロンドンが技術の高さで知られるようになりました。
ロンドンのカットはオールドイングリッシュカットと呼ばれ
今日でもアンティークなどに見られ、
そのカットの質は極めて高かったとされています。
しかしこうした念入りな手作業によるカットは、
19世紀半ばには低賃金のアムステルダムなどに
かなわなくなり、次第に姿を消していきました。

※オランダの街並み
この間にパリやロンドンのカッター等は、
インドから伝来していた大きさだけを
追求するような、かっこ悪いカットの石の多くを、
新しいカットに再カット(リカット)しました。
その多くはブリリアントという形容詞をつけて呼ばれるようになったのです。
トルコウスキー 理想のカットを数値化した最初の人
1900年頃までにカットの機械化が進展し
ソーイングやブルーティングなどが、
機械によって処理されるようになると
ダイヤモンドのカットについての試行錯誤は、
多くの人々によってなされるようになり、
次第に最善のカットとは何か?
ということが経験的に理想なものに
近づいて行くことになりました。
一方、新興のアムステルダムやアントワープなどの
カッティングセンターでは
機械化が一段と進み、
今日的なダイヤモンドカットの工程が
定着していきました。
ブルーティングの進化とともに
ラウンドブリリアントが、普通のものとなり
大量に研磨される中級品以下のダイヤモンドの
主流のカットとなって行きました。
何が理想的なカットなのかについては、
1900年前後にアメリカのヘンリー・モーゼや
フランク・ウェイドなどの研究があり
それぞれに自分のが考える理想のカットについて提案を行いました。

※画像はイメージです。
以上のような経緯を経て、
ブリリアントカットに関する論争は、
1916年にマルセル・トルコウスキーが、
推論的ではありますが、
ダイヤモンドにとって理想とされるカットの
数値を定めるまで続きました。
トルコウスキーは、単なる机上の計算だけではなく、
現実で商売で出会った特に輝きの強いダイヤモンド5個を選び、
それらの数値をとって、平均値を出し、理想と思われる数値を割り出していきました。
まとめ
このように試行錯誤を繰り返しつつ、
一応の理想とされるカットについては
大まかながら意見の一致を見ました。
でも、このことはつい最近ともいえる1916年から19年前後のことであり
古代のインド以来2000年以上にもわたる
ダイヤモンドそのものの出現から見れば、
本当にも新しい出来事であり
厳密に言うならば未だに試行錯誤は続いています。
今でも自分のアイデアルカットを提唱する人は絶えないのです。
僕は、1990年代、そんな方々を何人も見てきましたが、
ビジネスとしてはうまくいかなかったようです。
個人的な意見としては、
ダイヤモンドのカットは、
追求しても追求しきれないと思うし、
業界で属いう、原石の性質(たち)に影響される部分も多いと思います。

