ダイヤモンドは、現代では一般的なジュエリーの素材の宝石で、
その輝きは誰でも見ることができます。
でも、最初にダイヤモンドが人々を魅了したのはその硬さだったそうです。
今日は、ダイヤモンドの歴史をたどってみたいと思います。
ダイヤモンドの歴史 ローマ時代は硬さで驚き
古くローマ時代に、初めてダイヤモンドがもたらされたとき、
人々を驚かせたのは、その美しさではなく、その輝きでもありませんでした。
何よりも、この新しい石が、ローマの人々を魅了したのは、その硬さでした。
ローマ以前では、ギリシャ人あるいはユダヤ人の世界において、
ダイヤモンドが存在したかという問題は、長く論じられてきました。
特に、旧約聖書の出エジプト記、28章の15以下に出てくる、
大司祭が身につけたとされる、「裁きの胸当」なるものには、
宝石を横に3個並べたものを縦に4列、
合計12個の宝石がつけられていたとされ、この内の6番目、
つまり、2列目の右端の石を、ダイヤモンドとする説がありました。
さてここからの謎解きです。
日本語訳の旧約聖書には、以下のように訳されています。
“汝またその中に玉を嵌めて玉を四行にすべし即ち赤玉黄玉瑪瑙の一行を第一行とすべし、第二行は紅玉青玉金剛石 大三行は・・・・・”
つまり第二行にYaharomが、金剛石、つまりダイヤモンドと訳されているのです。
しかし、このヘブライ語でYaharomと書かれた単語は、その後の研究の結果、
ダイヤモンドではなく、カソリック大百科ではジャスパーまたはベリルとされ、
英語訳の新版聖書では、ジェイドと訳されています。
ダイヤモンドの歴史 プリニウスの博物誌
ダイヤモンドの歴史で必ず引用されるローマ時代の博物学者、
プリニウスの著書『博物誌』があります。
その『博物誌』の37巻の15、アダマス、
つまりダイヤモンドの項目の記載事項すべてが、
実はダイヤモンドに合致するとは考えられなくなっています。
最近では、一部の記載は、プラチナを扱ったものではいう説もあります。
ただ、結論としては、プリニウスの『博物誌』の
アダマス=ダイヤモンドではないとしても、
ダイヤモンドを本格的に扱った西欧最初のものであることは間違いありません。
プリニウスは古代ローマの博物学者で、23年~79年ですから、
いまから1950年程までに活躍した学者ということです。
つまりその頃の古代ローマには、ダイヤモンドが存在して利用されていたことになります。
ダイヤモンドの歴史 プリニウスのダイヤモンド解説
プリニウスは『博物誌』の中で、美しいという表現を全く使わないで、
ただ異様に硬い、という言葉が繰り返されています。
ダイヤモンドの正八面体結晶のとがった尖端でこすれば、
鉄でも、青銅でも、または他の宝石や石でも、
いとも簡単に傷つけれることができたし、
場合によっては切り落とすこともできたとされています。

また、プリニウスの研究の凄さは、この異様に硬い石も、
場合よっては砕けることもしてしっていたことです。
その部分を抜粋して引用します。
“マダマスがうまい具合に砕けると、ほとんど眼にも見えない欠片に崩れてしまう。その欠片は宝石の彫刻家から多くの需要があり、それは工具の中へ挿し込まれる。というのはそれはどんなに硬い物質にも難なく孔を開けるからである・・・”
ダイヤモンドの特性を知る見事な解説です。
まとめ
古代ローマの学者プリニウスは、ダイヤモンドを良く研究して、
そのおかげで、現代の我々は、インドから中東を経て、
ダイヤモンドが、それも多分、正八面体の結晶のものが西欧に渡来し、
異様に硬いという一種の魔力もつものとして珍重されたことえお知ることが出来ます
次回からカットの歴史について考えて行きたいと思います。

