現代では、
もっともポピュラーで
宝石の王様的存在の
ダイヤモンドは、
今から150年ほど前の
19世紀半ばまでは、
謎の鉱物だったのです。
約4200種類あるとされる全鉱物の中で、
ダイヤモンドが最も硬いのはなぜか?
そもそもどこで、どのようにつくられたのか?
ほとんどわかったいなかったのでした。
今日は、
謎の鉱物だったダイヤモンドが
いかの現代のように
人気の宝石になったのかを
考えたいと思います。
ダイヤモンドと人類のつきあい
つい150年程前まで、
謎の鉱物といわれていた
ダイヤモンドですが、
人類とのつきあいは長いです。
古くは紀元1世紀、
ローマの歴史書にその名が登場します。
当時のダイヤモンドは,
宝飾品としてよりも、
その硬さを利用して
彫刻の道具として使用されていました。

その後、カット技術の
進歩によって、
ダイヤモンドは宝飾品としての
価値を高めて行きます。
15世紀頃になると、
微小なダイヤモンドの粉で、
大きなダイヤモンドをみがくという
手法が確立され、
パリやロンドン、
ベルギーのアントワープなどの
ヨーロッパの諸都市で
職人による加工が進められました。
ダイヤモンドの研究が遅れた理由
宝飾品としての価値が高まる一方で、
ダイヤモンドの科学的な研究は遅れていました。
その理由のひとつには、
ダイヤモンドの鉱山が
発見されていなかったからです。
それまでインドやブラジルなどの
川の砂や小石にまじって
まれに見つかる程度で、
採集量が非常に少なかったからです。
だから高品質のものは、
とても高価で、王国貴族の専有物となり、
研究用に使うことは不可能だったからです。
ダイヤモンドの歴史の転換期
ダイヤモンドの研究に
大きな転換期が訪れたのが、
1866年のことでした。
南アフリカの農場に暮らす
エラスムス・ヤコブ少年が、
オレンジ川で、
21.25カラット(4.25g)の
ダイヤモンド原石を拾ったのです。

このダイヤモンドは、
当時の植民地総督を経て、
パリの万国博乱会(1867~1868)で
展示され、ギリシア語で「我、発見せり」を意味する「ユーレカ」と名付けられました。
まとめ
南アフリカで
ダイヤモンドが採集できるとわかると、
数千人の採集者がオレンジ川流域に押し寄せてきました。
その中の二人、バーナート兄弟が、
キンバリー近郊で、
ついにダイヤモンド鉱山を発見したのでした。
鉱山の発見は、大きな意味を持っていました。
鉱山の地質を研究することで、
ダイヤモンドがどのような場所でつくられるかが
分かるからです。

